実り多き人生

早起き&片付け・断捨離で、自分らしい人生をつくるブログ

子どもの頃から夢中になるほど大好きなものは、手放しちゃダメだと思う理由。

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おはようございます!みのりです。

最近、4歳の娘が工作に熱中しておりまして。

ハサミもそうなんですが、粘土なんかもやりだしたら止まらない勢いで、一生懸命こねて、丸めて、形を作って…

 

我が家の娘、集中すると無意識に舌が出るんです。

口が半開きになって、そこからベ。って舌がちょっとだけはみ出す感じw

だから、「あ、今夢中になってるな」ってすぐに分かります。

  

で、そんな娘を見ていると、自分の子ども時代のことを思い返すようになりました。

私も娘くらいの時に、「工作に夢中」になることで自分自身を癒してたなぁって。

目次

 

私の子ども時代。初めての孤独を味わった入院

私は3歳くらいの時に交通事故にあい、1ヶ月以上親元を離れて入院していたことがありました。

今はもう完治していますが、その当時ではかなり深刻な怪我を足に負っていて、実家から離れた専門病院にて外科手術を受ける必要があったんです。

 

両親は出来るだけ会いに来てはくれたけど、まだ4歳だった姉もいたし、共働きだったので毎日来ることは難しい状況でした。

 

私が入院したこども病棟の病室には、入院歴が長い子も何人かいました。

そのうちの一人から、モノを隠されたり、仲間外れにされたり、今思い返すなら新人いじめのような扱いを受けました。

私はすごく忘れっぽい性格なんだけど、その子の名前は30年以上たった今でもはっきりと憶えていて、そのくらい3歳の私にとっては強烈な体験だったのかもしれません。

 

「おかあさんと一緒じゃないと眠れない」なんて甘えたことを言う我が家の4歳の娘を見ていると時々思うんです。

1ヶ月とはいえたった1人で家族と離れて暮らし、気の強い子からイジメられても何も言い返せない。

病室のベットの上でジッと膝を抱えていた3歳の私は、どれだけ孤独を感じてたんだろうって。

 

工作に夢中になることで、孤独を紛らわせることができた

そんな当時の私が唯一楽しみにしていることがあって。

当時近くに住んでいた叔母が、毎日面会に来れない両親に代わってちょこちょこ私に会いに来てくれてたんです。

その時にいつも持ってきてくれるのが、紙工作キットでした。

 

  1. 動物の絵を線に沿ってハサミで切る。
  2. 山折り谷折りの線に従ってその紙を折っていく。
  3. のりしろ同士をノリでくっつける。

 

大体はこんな手順で、左右に揺れる振り子型のゴリラや、ひっぱると首が長く伸びるキリンが完成するような、簡単な仕掛けのついたものでした。

 

私は一度でその工作に夢中になりました。

それからは時間さえあればテーブルを設置したベッドの上で、ひたすらはさみとノリを持って工作に励みました。

 

工作に夢中になっている間は、自分の周りでおこっている全てのことが頭から離れて、ただ作ることにだけ集中していられる。

このコアラは完成したらどんな形になるんだろう、おばちゃんは次はどんなキットを持ってきてくれるだろう、なんてワクワクすることだけ考えていられる。

 

私は当時、間違いなく「作る」ことで寂しさを紛らわせていたんだと思います。

子ども時代の私を客観的にみると、こういうことです。

 

夢中になれること」が生まれて初めて孤独を味わっていた3歳児の心を癒した。

 

孤独を紛らわすために夢中になった工作で、作ることの楽しさに目覚めた私は、その後どんなに嫌がらせをされても気にしないようになりました。

いつのまにかいじめられることもなくなって、退院するまでに仲の良い子も何人か出来ましたが、そこらへんはあまり覚えていません。

 

あの頃のことを思い返した時に、頭の中にはっきりと浮かぶもの。

それは、私をいじめていたあの子の名前と、ベットに設置したテーブルの上に、所狭しと並べられた紙の動物たちなんです。

 

あ、もちろん今ではいじめっ子のことはなんとも思っていませんよ。

ただ、あれが私が「何かを作りたい、表現したい」って思った原点であったことは間違いないな、と思ってます。

 

「夢中になれるもの」は、なによりの癒し。

 

この時から、私はモノを作ったり、絵をかいたり、字が書けるようになってからは日記や創作話を書いたりと、絶えず何かを作って表現している子どもになりました。

 

中学時代までは絵も描いていたけど、高校生になって以降の表現方法は文章を書くことだけになり、そしてそれすらも、社会人になってからはいつの間にか毎日の習慣から遠のいていきました。

 

そこから紆余曲折会って、今現在このブログで毎日夢中になって文章を書いています。

ブログを始める前の私と比べると、考え方もぐんと前向きになったし、生活にメリハリもつきました。

 

仕事で行きづまっても、ブログを書いて気持ちを切り替えることで、思わぬところからポン!と打開策が出てくるようになりました。

なにより周りの目を気にして自分を抑え込むよりも、とりあえず思ったことはやってしまえ!と思いきりがつくように。

 

3歳のあの時からずっと大事にしてきた、「夢中になれること」と改めて向き合うこと。

そのことがその後30年間生きてきて、周りの環境にガッツリと染められた私自身を、周りなんて気にせず作ることにひたすら夢中になっていたあの頃の私に引き戻してくれているような、そんな気がしています。

 

だから、今の娘を見ていても思うんです。

子どものころから大好きで、無意識に舌が出るほど夢中になれることは、大人になっても手放しちゃダメだって。

 

それを職業として、ナリワイとして生きていくかどうかに関わらず、自分が夢中になれることっていうのは、どんな時でも自分のことを癒してくれるものだから。

 

そういうものを何か一つでも持ってると、人は強く生きていけるんじゃないかな。

 

そう思うから私はこれからもブログを書き続けていくし、誰にだって子どもの頃を思い返してみればそんな「夢中になれたこと」がきっと一つは見つかるんじゃないかな、って思うんです。

 

だから自分の子どもたちにも、夢中になれるほど大好きなことを見つけたら、それを大人になってもやり続けてほしい。

そしてそれができるように見守っていくことも、親としての私の務めの一つかなって考えてます。

 

  

それでは、今日も実り多き一日を!